寄り添いたいのは

2015-11-12

寄り添いたいのは

「誰か」じゃなかった。

自分のこと好きか嫌いかとか
誰かにどう思われてるか、とか
いわゆる「評価」に対してでも、なかった。

影響力があるとかないとか
人徳があるとかないとか
年齢も性別も
お金が有るとか無いとか
立場とか
そういうこと全部、関係なかった。

……

今夜は久しぶりに同世代の友人とじっくり話す機会があって、そして思いました。

寄り添いたいのは

どんな人間も等しくもっている「感情」というものの行く先・・・

そしてそれは気づかれないでいる小さなもの。

手を伸ばしても届かない
伸ばしたくても伸ばせない
声を出したくても出せない

ひっそりと懸命に生きてる「心の声」でした。

届かないのは、我慢とか犠牲なんかじゃない。
分からないんだよね。伸ばし方が。出し方が。
ないんだよね、伸ばすところが、出す場所が。

そんな心の悲鳴に、少しでも寄り添える「存在」でいたい。

心に寄り添うことで、大きな励ましになること、
よく知っているから。

人間の質として、合う合わないはあるかもしれない。
お互いの心の状態が引き合わない時期もあると思う
でも、長い付き合いの中で、ふと心のタイミングが合う人や時があったりする。

心静かにタイミングを待つことが、自分のしたいことだったりもする。

ヒーラーではないから
私はいつも、聞いてるだけ、とか
「大丈夫だよ」って、そう思う理由を伝えるくらい。
だから生産性とか進歩はその場にはないかもしれない。

でも、人は吐き出すこと自体が癒しになるし
心が寄り添えるそんな時間が、私はたまらなく幸せ。
ありがとう、って言われたら心から嬉しいし、それに、
私も寄り添ってくれる心の存在を求めてきた。

自分が助けてほしいとき
さりげなく寄り添ってくれてる心に出会うと
胸が熱くなるし、ありがとう、っていっぱい言いたくなるし
自信もわいてくる。

その先にどれだけの可能性があるか。計り知れないパワーになることもある。



してもされても一番安らぐこと。

それは「声なき人の心」に、寄り添うことだった。
それは「伸ばしても気づかれない手」に、気づくことだった。

だからこそ、

「自分の心の声」を、すくい上げて励まし続けられる自身でいたい。

他のやり方にもいろいろ挑戦してみたけど、
「寄り添う」が一番しっくりくる。

寄り添いたい心に触れることができたなら
それを想う、聴く、そしてまた聴き想う。

そんな人間でありたいと思うのです。

そしてそんな人間の心の表現を伝えていける
そんなショップでありたいと思うのです。

あなたのために、私のために。


一江ウタカさんの「精霊のうた」はそんなことを感じられる歌。

ずっと好きで気になっていつも聴いていた歌。
多くの小さな心を代弁してくれてるかのような歌。
精霊とは、生きているこの世の全ての存在、ひとりひとり、ひとつひとつ、そして、
私たち自身のことなんだと感じます。
自分の中の小さな声を聴いてあげられる自分でいたいですね。

どうお感じになるか、、ぜひ聴いていただきたいです。





追伸:

新月でしたね。お星様ご覧になりました?
私は「本州一星が綺麗に見える」なんてことが言われてる長野のある地域に住んでいて
今日の写真はその中でも特に空気が澄んでいる「浪合」という場所での今夜の星たち。
娘の同級生が庭に出て普通にパッシャって撮ってLineに上げていたのを、ブログにどうぞ、って送ってくれました。
最近、十代、二十代の若い人達と話す機会が増えて楽しいな~。嬉しいな~。




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