「即興」は瞑想的な瞬間の連続
人は日々刻々、色んな感情を持つけれど
泣いたり辛かったりな時も、
そのどれもをどこか愛おしく感じるのは、
痛みが消えた至福の時を、知っているからなのかもしれません。
その至福の時が、自分のデフォルト状態なんだって知ったからかもしれません。
必ずいつかその至福へ還れると、分かってるからなのかもしれません。
至福のデフォルトへ戻ると
人の優しさを受け取るセンサーが増すような気がします。
『瞑想的な時間』は、私にそんなことを教えてくれました。
……….
最近はメルマガばかりで、気づけば約3ヶ月のご無沙汰ブログですが、、、
今日は「瞑想のピアニスト」と呼ばれる、ウォン・ウィンツァンさんの即興演奏について。
ライブ録音をアーカイブ作品としてリリースしましたので
作品たちを聴きながら、特に即興演奏について改めて感じたことを書いてみました。
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即興・超越意識・瞑想・至福・愛
ウォンさんの公式プロフィールにこんな一節があります。
ピアノソロ・コンサート、とくにインプロヴィゼーション(即興演奏)では、
音の力でオーディエンスの深い意識とつながり、解き放たれた静寂空間を創り出してゆく。
超越意識で奏でるその透明な音色に「瞑想のピアニスト」と呼ばれている。
これこそがウォンさんの音楽。
ウォンさんを知る人の間では、長い間親しんだ一節。
メロディアスなピアノ楽曲で有名なウォンさんですが、同時に、即興演奏家でもあります。
即興演奏に欠かせない「超越意識」という言葉。
超越意識って言うと何か難しいですが
「無心」「夢中」「我を忘れる」と同義語、
そして「至福」とも同義語だと思っています。
すなわち、人は、
幸福に至った瞬間、「我」という意識は消えてなくなるし、
我という言い訳である自我が消えた時、至福は訪れる。
演奏、だけでなく、ダンス、武道、スポーツ、他、何でも。
自我が消えていたことに気づいた瞬間は至福ですね。
それは喜び繰り返す中でやってくる『瞑想的な瞬間の連続』。
瞑想のピアニストと呼ばれる所以です。
私は演奏はしないけど、その至福の場所へ行きたくて行きたくて、
いつも目を閉じ静かに座ります。
冒頭の詩(!?)は、瞑想中に受け取った感覚。
自我が消えている瞑想的な時、私たちの意識はどこにいるんでしょうね!?
やんちゃな意識が『魂に還った瞬間』?
インドの瞑想者、和尚は、「一服のお茶を飲む行為も瞑想だ」と言っていました。
お茶をするという『行為の中に意識が同化してしまっている状態』でしょうか?
そんな風に考えていけば、勉強でも仕事でも、私達の様々な日常生活が瞑想的に行えそう。
良く動くためには心の静寂が必要ですものね。
7/14今日はフランス革命の日だとか。
血を伴う革命を終え
至福の場所から行動を始める世界になりますように。
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「音になる瞬間」が至福な瞑想の時♪
即興演奏を聴くというのは、演奏者と聴き手が共に音に同化するようなもの。
ウォン・ウィンツァン2015年ピアノソロコンサート・アーカイブ。
リリースしました。
瞑想的な時間を、ハイレゾの最高音質でお楽しみいただけたら嬉しいです♪
最新ピアノソロ即興アルバム「青の龍」をリリースした直後のコンサートの「即興演奏」は、
やはり「青の龍」を彷彿とさせます。
例えばこの演奏。
http://swbluemoon.com/20150618emeraldhall-dsd-07/
即興というと海外中心に激しい演奏をイメージする方もいらっしゃるかもですけど、こういう瞑想的な即興演奏をもっともっと多くの人に知って欲しい。
よかったら聴いてみてくださいね。
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※今日の記事はBlueMOONのメルマガの一部に加筆したものです。
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